AV出演で私が何百枚と交わしてきた「契約書」や「出演同意書」のことについて【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第18回
【自分の作品なのにコントロールが利かないという歯がゆさ】
以前のエッセイでAV女優の出口は荒野だと表現した。セカンドキャリアの支援は名ばかりで、AV女優の経験は職務経歴書に記載できる内容ではない。会社によっては不自然に空いた期間をマイナスと捉えることもあるだろう。そんな中で次の人生に向かって歩いていくうちに、AV女優であった事実を消去した方が都合の良い場面なんていくらでも存在する。その場面に遭遇したときに「消す決断」をするのはごく当たり前のことだ。
しかしながら消すと決断をしても、世の中から全てが消えることはない。それは経験した本人が一番理解していることで、各々がどうにか折り合いをつけていくしかない。そのことについて、ただの外野が意見をしたり、ましてや批判したりするのはお門違いだ。
消したい場面に遭遇しなくとも、自分の知らないところで作品が無限に増えていくのは居心地の悪さを覚える。毎年二次使用料としてある程度の金額、ただし普通の一本分の撮影に満たない額が、振り込まれてくる。一体それがどんなタイトルで、いつ発売されたかの情報もなく、ただ事務的にお金だけが振り込まれてくる。私の作品であるのに私のコントロールが利かないという歯がゆさを抱えるなんて、契約書を書いた時点では誰も教えてくれなかったし、もちろん私も含めて、誰も気にも留めていなかった。
私の作品の権利契約はまだ切れていない。契約書上の数字で言えば、あと三年ぐらいは何もできずに待つだけだ。それまで家の片隅に契約書が入ったケースは存在し続けるだろう。
(第19回へつづく)
文:神野藍
※毎週金曜日、午前8時に配信予定